2002年から開催されている「まつりえれこっちゃみやざき」 私は2002年に踊り子として初めて参加させていただき、今年で23年間かかわらせてもらいました。 振り返ると、当時は参加チームも多く行きかうチームさん同士、実行委員の皆さんも「お疲れ様です」と挨拶が至る所で聞かれ、とても活気に満ちた、そしてワクワクもし、当日はまちが元気だったように思えます。 えれこっちゃ隊は2006年にPR隊として誕生しましたが、当時の推進委員長を務められた杉田顧問が、この祭りの4つの柱の1つである「踊り」の重要性を強く訴えてこられ、結成された経緯があります。~「踊り」をとおしてまちを元気に笑顔に~県内外から多くのチームさんに参加してもらうにも、私たちは直接現地に出向いて、踊りを通して参加を呼びかけるべきで、そのような活動が地域や人チームとのつながりや信頼関係を築け、多くの方々に参加していただけると、これまでも活動をさせてもらいましたが、その大前提には「まつりえれこっちゃみやざき」が大好きで誇りに思える祭りだったからだと思います。 私も、えれ隊で約20年ほど活動させていただき、人見知りの私も県外のチームさんとのつながりや絆を作ることができ、九州各県で開催される祭りの思いや祭り魂も少しは理解しているつもりです。 「まつりえれこっちゃみやざき」も年々変化はしてきましたが、変えてはいけない魂や精神は継承されるべきであり、今年は特に残念でなりません。 今年は祭り当日までは、特に準備にもかかわることも無く、ステマネ会議にも参加できず、事務局に足を運ぶ機会もほとんど無く、2日間なんとか運営に関わらせていただきましたが、理解しがたいことも多く、中でもこれは後でわかったことですが、開催中ステージガード(協賛)は倒されており、お客さんの荷物置きになったりシート替わりになっている。当たり前のことですが、以前はどれだけ気を使いレイアウトしていたか。ステマネやスタッフはいるはずなのに・・とても残念なことです。 私たちは、これまでステージ運営や交流会・おもてなし村の運営をとおして、反省点や改善点など実行委員と共有してきました。参加されるチームさんやお客さんに喜んでいただけるように、また来年も参加したいと思っていただけるようにと実行委員の皆さんと「心」「気持ち」を一つに取り組んできた時代もありました。推進委員長をはじめ実行委員の皆さんと1年を通して九州の祭りに参加し一緒にPRしたり、九州中国YOSAKOIまつりでは「まつりえれこっちゃみやざき」で2回開催させていただき、多い時には約70チームの県外のチームの皆さんに参加していただいたこともありました。 そして、参加チームの皆さんからもいっぱい愛をいただきました。えれ隊がいるから当日二手に分けて参加してくださるチームさん、地元の祭りと重なっていても時間を調整して参加してくださったり、中には演舞前の挨拶では自チームの紹介よりも、えれ隊を認めてもらえるようにこれまでの活動を紹介してくださったり、ここに書ききれないほどの愛をいっぱいいただきました。 今年も特にそう感じた2日間でした。えれ隊が躍るところがなければ、自チームの枠を削ってまでもえれ隊に踊ってほしいと言ってくださったり・・。薩摩源氏蛍さんの煽りも代表の計らいで経験することができました。そして何時もはいないはずの代表を久々に祭りで見ることもできましたし、今年で最後かなとも思ってしまった。 私は今回の「感謝の舞」は一人ひとりそれぞれの「愛」をいっぱいいっぱい感じて踊らせていただきました。 よさこいはこれからも続けていきますが、「まつりえれこっちゃみやざき」はそして「えれ隊」は私たちを出逢わせ結んでくれたきっかけでもあり、家族の絆をつくってくれたもの。あの10分間は隊長も同じ思いだったと思うし、いろんな感情が交錯し、なんだか最後は一つの時代が終わった感覚で涙があふれてきました。 「日本の祭りは和のこころ」「いい世よ来いと願い祈る」「和みと結びのこころ」 私はこのお祭りはこれからも続いていくものと思います。感謝しあえる祭り、私自身が誇りに思えるそういう祭りでない限り自信を持ってPRはし難いと感じてはいます・・・。がこれからも暫くは参加された皆様へのお礼の意味を含め活動させていただきます。 今回運営スタッフ、ボランティアの皆様の力なしでは開催できません。本当にありがとうございました。またお客様、そしてチームの皆様におかれましても天候の悪い中祭りを盛り上げるために一生懸命踊ってくださり本当に有難うございました。